太閤道を日溜まりハイク〜若山

平成14年 1月 6日(日)
【天候】 小雨のち晴れ
【同行】 単独
JR東海道線付近より望む若山


 毎年色々考えるその年の山初め。縁起を担いだり、干支に因んだりしたり。今年はどう
しようか?去年が世情的にも多難な年であったので、それとの決別という程、大袈裟では
ないけれど、今年の初山は天下分け目の天王山周辺。その関連というわけで、今日は山崎
合戦に向けて秀吉方が急いだという太閤道を歩くことにする。尤も、実際に秀吉が通った
か否かは定かではない。まぁ近場で雪道を走らなくて良いというのが、正直、ここを選ん
だ理由の一つではありますが.....。(^^ゞ

 冬型の気圧配置が強まり、夜半に雪が降ったようで、北摂の山々も青空の下、久方ぶり
の雪化粧。ところが天気は気まぐれ、高槻市に入った頃には北から俄に灰色の雲が流れて
来て陽射しを遮る。と見る間にフロントガラスに雨滴がつき始めた。

 R171の八丁畷交差点から北上する。出発点の桧尾川に架かる磐手橋沿いに手頃な空
きスペースを見つけ車を止める。雨は上がったようだが念の為に傘を用意してスタート。

 すぐ目の前に高槻市が設置した金竜寺の説明板がある。なんでも延暦9年(790)に
安倍朝臣兄雄が創建し、一時は隆盛を誇ったが、戦火、再建、失火など盛衰を繰り返した
後、江戸時代には桜の名所として有名であったらしいのだが、何時しか無住寺となり、昭
和58年、心ないハイカーの火の不始末で全焼したという。無惨な話ではある。太閤道の
前半はその参道を辿るのだが、電機部品の工場の東側にその金竜寺への参道があり、二丁
と刻まれた石標が立っている。

 初めは山の麓を巻いていくやや荒れた林道風の道で、ご多分に漏れず粗大ゴミが捨てら
れている。どうにかならぬものだろうか。家庭菜園風の畑を左に見て、右に大きくカーブ
していよいよ山中へ。現れた小さな谷川沿いに歩いて行く。鉄橋を渡り、岩の下の小さな
祠や三好大明神の鳥居と小さな建物を見る頃、山道が漸く傾斜が増してくると、左手に白
馬石と呼ばれる岩が現れる。といっても説明板が無ければ誰もが見逃す高さ2m程の何の
変哲もない岩。謂われは何だろう?馬が石に化したのだろうか?

 葛籠折れにつけられた参道の名残の石段を登り切った平坦地が金竜寺跡である。道が左
右に分かれるが、左の自然石の階段を登ると境内であったのであろう、水の涸れた弁天池
らしき池。真ん中の島に摩滅した石仏2体。不動明王と大日如来らしいが定かではない。
更に進んだ辺りは、ササがはびこってはいるが、カエデの木が多いのを見ると庭だったに
違いない。靴脱ぎの石もある。ややだだっ広いのは本堂跡だろうか。日陰には雪が残り、
おりから霰も降り出して、何となくうら寂しい感じのする金竜寺跡である。

 道標に沿って90度折れる感じで、金竜寺の裏に向かう。金竜寺ゆかりのものらしい七
重石塔等を見て桧林を登っていくと直ぐに尾根に出る。やがて人工林が途切れて葉の落ち
た雑木林。クヌギ、コナラも多い。この辺り迄来ると、ほとんど勾配のない水平道である。
下草にササが現れるあたりの磐手杜神社への分岐を過ごして、小さな岩が散在する辺りを
抜けると北側が開けて、ポンポン山から高槻北部の白い山々が眺められる。

 里山だけに枝道が多い。おまけに高圧線が何筋か横切っているので、その巡視道も錯綜
している。道標がなければあらぬ方向へ足を向けそうである。最初の高圧鉄塔(淀川線
5)を過ぎた頃、木の幹に「北摂一の展望地」と書かれた私製プレートがあったので向か
ってみるとこれが頗る儲けものであった。疎らな笹原で大きな木がない為に素晴らしい展
望が待ち受けていた。眼下には高槻市街。ニチレイ、カネボウ、三菱自工の工場、ジャス
コの建物。蛇のようにのたうつ淀川を挟んで、男山から樟葉にかけての枚方市街。台形に
見えるのは生駒山。右手には大阪市街の高層ビル。左は京田辺から鷲峰山方面の山並みと
手に取るようである。

 霰をもたらした灰色の雲も何処かへ消えて、抜けるような青空が戻り、日の光がうらう
らと暖かいのでここで昼食とした。

 後片付けをしていると、がやがやと20人程の団体さん。入れ替わるように場所を明け
渡す。

 三角点はそこから200m程。ササの中で見つけ難いかなぁと思いきや、高槻市が何と
指導標を設置しているではないか。その指導標も不要な程、登山道のすぐ側に、南向きの
一ヶ所の欠けもない綺麗な御影石製の三等三角点があった。

登山道のすぐ北側にあった若山の綺麗な三角点

 高圧鉄塔(西京都線bQ8)を過ぎ、道は下り勾配。マツタケ山の白テープが目立つ。
北から西、また北と雑木林を下っていくと林道へ飛び出した。右へ暫く進むと南側の展望
が開けた場所がある。丁度、木津川、宇治川、桂川の三川合流地点が真正面に見渡せる。
川向こうのもっこりした山は男山。

林道横から眺める桂、宇治、木津三川合流点。右は男山

 前方に新大阪ゴルフクラブの敷地が見えてきた。林道は直角に折れて川久保へ降ってい
く。若山神社への道は右へゴルフ場の縁を忠実に辿るようについている。粘土質でやや滑
りやすい。ここから暫くは桧と雑木の混交林で小さなアップダウンが続く。いい加減嫌気
がさす頃、大阪府が設置した若山神社自然環境保全地域の説明板に行き着く。若山神社の
裏山は樹齢200年のツブラジイとアラカシの林で珍しいものなのだという。そういえば、
一抱えもある常緑樹がそこここにあり、鬱蒼としてやや暗い。小休止の後、歩を進める。

 落ち葉で踏み跡がやや不明瞭なところもあるが、次第にハッキリしてきて、水無瀬の谷
へ急降下していく。膝を気にしつつジグザグの階段道を一気に降れば若山神社の社殿が見
えてくる。若山神社は素戔嗚尊を祀るなかなか立派な神社。高台にある境内からは水無瀬
の谷から天王山が一望出来る。焚き火にあたって一息入れる。引いたおみくじは吉であっ
た。
素戔嗚尊を祭神とする若山神社本殿

 南側へ石段をどんどん降って車道へ出、折角なので桜井の駅址に寄っていく。

 桜井の駅は足利勢を迎え撃つ楠正成と子の正行が決別した場所として有名だが、さすが、
駅址迄の道は楠の並木である。駅址は公園になっていて乃木希典、東郷平八郎、近衛文麿
らが揮毫した記念碑が林立していた。

 この後、阪急水無瀬から電車に乗り、高槻駅で市バスに乗り替えて、連絡良く磐手橋に
戻る。あんなに山々を白く彩っていた淡雪も今は消えている。また灰色の雲から雨粒が落
ちてきた。

 市街地近くにも関わらず展望も良くて意外な穴場。拾い物の感を強くした若山日溜まり
ハイクでした。



【タイムチャート】
9:40自宅発
10:30〜10:35磐手橋横空き地(駐車地)(Ca40m)
10:38若山登山口
10:47白馬石
11:00〜11:05金竜寺跡
11:20〜11:25梶原山[磐手杜神社分岐](Ca280m)
11:40高圧鉄塔(淀川線bT)
11:45〜12:35展望地(Ca300m)
12:40〜12:43若山山頂(315.5m 三等三角点)
12:45高圧鉄塔(西京都線bQ8)
12:55林道出合
13:02四つ辻分岐(新大阪ゴルフ倶楽部横)
13:18若山神社自然環境保全地域案内板
13:29〜13:40若山神社
14:10〜14:15桜井駅址
14:20阪急水無瀬駅
14:45磐手橋横空き地(駐車地)



若山のデータ
【所在地】大阪府高槻市
【標高】315.5m 三等三角点『成合』
【備考】 ポンポン山を主峰とする老ノ坂山塊が平野に没する南限
にあたる山です。山崎合戦で秀吉軍が利用した為、その
尾根道を太閤道と呼んでいます。大阪平野の眺望が良く、
道標も整備されており、ファミリーハイク、日溜まりハ
イクに最適です。但し、夏はお勧めできません。(笑)
尚、南東麓に名神梶原トンネルが貫通しています。最寄
りは阪急京都線高槻もしくは水無瀬駅です。
【参考】エアリアマップ『京都西山』



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