来見山から高岳〜安徳帝潜幸伝説の地を行く
 平成14年12月 8日(日)
【天候】小雨
【同行】単独
安徳天皇の陵墓がある来見山への道
教育委員会の案内標識がある


 日本人特有の判官贔屓の所為か、各地に残る平家の落人伝説や義経の逃避行伝説。そん
な中、大阪北部の能勢には安徳天皇の流離譚が言い伝えられている。曰く、寿永4年、壇
ノ浦の戦いに敗れた平家一門。二位の尼と共に波間に沈んだ安徳天皇はその後、秘かに助
けられ、石見、因幡、但馬と逃避行を重ねつつ、ついに能勢の野間の郷に落ち着かれたの
であったが、翌文治2年、病を得てあたら僅か七歳にしてお隠れになったとか。かねてよ
り、いつか訪ねたいと思っていたところであったが、雨もよいの今日、実現の運びに。傘
をさしても歩けるコースと云うことで、早速、探索へ向かう。勿論ちゃっかり三角点ハン
トも忘れてはいません。(-_<)

 昨日といい今日といい鬱陶しい天気が続く。今日の降水確率は30%というものの、現
地へ向かう時から小雨。寒い。一庫ダムから北上して能勢町に入り、野間出野(のましゅ
つの)の住民集会所の駐車場に車を置かせて頂く。ここには『安徳天皇御霊蹟地』の手製
の標識が以前からあって、気になっていたところ。が正直に言えば、当時からなんでこん
な場所に安徳天皇が?というのが偽らざる心境であった。逆にその一見あり得ないことが
興味を増したのも事実ではあるが....。

 用意を整えた後、農道を伝って、まず前方に見えている黒々とした林へ向かう。長屋門
のような瓦葺きの小さな門と『安徳天皇御霊蹟地』の大きな石碑がある。その隣には能勢
町教育委員会の懇切な説明板。大意は冒頭に述べた通りだが、流離譚はこの他、西日本各
地にあって、主な所では四国の祖谷地方、大分、日向等がある。ここ能勢の伝説は江戸時
代、当地の辻勘兵衛宅の屋根を葺き替える時に、屋根裏の棟木に竹筒が括られているのが
発見され、開けると、天皇に随伴した藤原経房の書き記した文書が出てきた由。辻家は先
祖が経房ということから、当時でも話題になったとのことだ。今日では偽文書とも云われ
ているが真偽のほどは如何?

 門を潜って石段を登る。サーッ、サーッと竹箒の音がする。見ると地元のおばさんであ
ろう、割烹着を着た女性が枯葉掃除の真っ最中。
「安徳天皇のお墓はどっちいけばいいですかねぇ?」
「それなら、あそこの道を真っ直ぐ行くと広い道に出るから、お寺の参道も曲がらんとず
ーっと行くといい。けど、ササ刈っとってかいなぁ。遠いから車で来たんならそこまで車
で行ったらどない?」
と親切に教えてくれる。いや、歩く為に来たので、いずれにしても歩きますと答えると些
か呆れたような感心したような。それから、ちょくちょく訪ねてくる人があること。境内
から銅鏡が出土して今は東京へ持っていっていること等を教えてもらう。

 若宮八幡宮の社は南北に長い丘の両端に祠がある。南の祠にその出土した鏡の写真が貼
ってあるが、出土品や丘の形状を考えると、以前はどうも古墳だったのではなかろうか?

 石段を下りて、おばさんに云われた様に左に折れて舗装路を進むと、直ぐに民家の庭先
に行き着いた所で道はなくなり、コンクリートの垣の上の狭い部分を行くようになる。ま
あ、右手(南)は田圃だから行き止まりというわけでもない。民家を抜けると左手は栗林。
山裾ぐるりと巡る様に進む。

 向こう側におばさんの云う車道が見えてきた頃、左手にいい山道が現れた。(冒頭写真)
能勢町の教育委員会の標識に「安徳天皇御陵」とある。
「ありゃ?教えてもらったのと違うやないの?」
実は、教えてもらったのは帰りに歩いた経路。こちらを往路に使っていたら、取り付きが
一寸分からず仕舞で往生していたかも知れない。

 さて、ササを綺麗に刈り込みよく手入れされた山道に入る。夜来の雨でやや湿ってはい
るが、広葉樹の落ち葉がフカフカと散り敷かれている。一抱えもある大きな台場クヌギの
落ち葉らしい。大した傾斜もなく、こりゃあいいやとルンルン気分で歩く。ほぼ一本調子
に斜めに上がっていくと、これまた一面が落ち葉の小さな広場に高さ約1mの自然石が鎮
座。藤原経房卿の墓と彫られてある。まだ青いヒサカキが供えてある所を見ると、今も地
元の方々が世話されているのであろう。墓石の左には小さな一体の地蔵らしい石仏。櫻の
木が一本。朽ちかけた案内板が一つ。

安徳帝に随身してこの地で崩じたという
藤原経房の墓.新しいヒサカキが供えてありました

 更に右に折れる山道を進む。桧の若木の人工林の中。緩やかに蛇行しながら再び雑木の
林に出ると、まもなく地形図の268m標高点ピークである来見山(くるみやま)、即ち
安徳帝の墓所に出る。安徳天皇陵と刻まれた石塔の奧に、高さ30p程の卵塔が置かれた
1m四方の質素そのものの墓所は、哀れを誘うものであると同時に、流離譚の信憑性を却
って増すような気さえする。
経房の墓から約300m先、来見山山頂の安徳天皇
の陵墓といわれる卵塔(奧の自然石に囲まれた石塔)

 ここから猪ノ子峠に出る踏み跡があるというのだが、陵墓の奧にそれらしい薄い踏み跡
を見つけるがかなりのヤブだ。迂回しようと引き返すと、墓所を背にして左に踏み跡があ
るではないか。コンパスで確認すると北方向だ。本にあるのはこれに違いないと植林と雑
木の境目の踏み跡に踏み込む。赤プラ杭が所々にあって、白テープが1ヶ所。まもなく車
道が垣間見えてきた。そこからが少々ヤブっぽかったが、見えている舗装路に向かって強
引に降り立つ。すると能勢町の観光協会の立て札と教育委員会の立派な説明板があるでは
ないか。観光協会の立て札に曰く「この辺りは、位の高峠と呼ばれ安徳天皇の墓所がある
のでゴミ捨てるな云々」。教育委員会の説明板は写真入りの立派なものである。ならこち
らも整備しておいて欲しいものだ。前述したようにこちらからは取り付きが分かりにくい。
尤もおばさんが目印と言っていた枯れた大木が、高みに垣間見えていたが・・・・。

 それにしても立派な舗装路だ。右手、北方向に高岳と思しき頂が見えているが、猪ノ子
峠は逆方向である。やがて立派な舗装路は植林帯にぶち当たって狭い地道に変わる。山の
中腹を巻いて向こう側に出ると、今度は左手が開け、道は二股に分岐する。右の桧の陰に
南無妙法蓮華経のひげ文字の石碑。その向かいにひっそりと石の道標。ここが猪ノ子峠だ
ろう。道標は苔むしているが、「左 三田」と辛うじて読めた。

 右の斜めに登っていく道が高岳への道らしい。小雨が相変わらず小止みなく降り続く。
風が出てきてやや寒い。所々セメント舗装された道はジグザグに高度を稼いで行くが、林
道なのでそれ程きつい傾斜ではない。そして大きく右へヘアピンカーブする手前右上に、
大きな岩と三抱え程もあるクヌギらしい大木があるのに気付く。と、岩の前には常夜塔ま
で揃った祠がある。カーブを曲がった所から取り付いてみたが、祠の御神体を安置するス
ペースを仕切る、小さな扉が壊れていて中は空っぽ。久しく世話する人が不在らしい様子
が窺われる。

 そこからはほぼ平坦な道に変わり、点名『猪子』の336mピークの右手を巻くように
なると、前方にようやく高岳が顔を出す。やがて林道はその高岳を結ぶ尾根上を行くよう
になる。桜並木が現れ、右手には意外に近く、ゴルフ場のクラブハウス。この小雨模様に
もかかわらず多くの車だ。更に進むと今度は左手に剣尾山方面から明月峠や平通の竜王山
が見渡せるようになる。残念ながら剣尾山の頂き付近は白いガスの中である。

林道途中から高岳。関西セルラーのアンテナが見える

 道は高岳に近づくと二度程、大きく蛇行しながら登っていく。最初のヘアピンにNHK
の看板。続いてもう一度大きくカーブすると大きなアンテナ施設が目の前に現れる。関西
セルラーの野間通信所とある。林道はというと更に左手奥にある建物迄伸びていて、その
最奥に4WD車が駐車しているのが見えた。
「ん?ハンターの車かぁ?」と一瞬訝しんだが、近づいてよく見るとボディにNHK○○
とNHKのグループ会社の名前。建物はアンテナ施設で、機械室の扉が開けられ、二人の
係員が作業の真っ最中である。
「こんにちは。何をしてるんですかぁ?」
「機械の保守ですよ」
「NHKの?」
「いや、ここはNHK、テレビ大阪、FM大阪、FM802など共同で利用してるんです」
建物にはなるほど、共同中能勢FM中継放送局とある。
「ほー。経費節減ですねぇ。ところで三角点探しに来たんですけど、ご存知ですかぁ?」
「ああ、それならそこの茂みの中ですわ」
てなわけで、応対してくれた眼鏡のお兄さんには、わざわざ茂みまで入って頂きました。
有難うございました。おかげですぐに発見できました。

 保護石や国土地理院の白い棒杭は見当たらないが、欠けのない綺麗な三等三角点が北向
きに埋まっている。ところでこの高岳、立派な三角点ピークだがプレート類は一切ない。
アプローチは林道だし、南側がゴルフ場で興醒めだからかなぁ。

 アンテナ施設の東側に踏み跡がある。NHKのプラ杭が設置されているので、管理道な
のかもしれない。そちらへ踏み込むとすぐに林道のカーブ地点に飛び出した。南東側の妙
見山方面が木の間越しに眺められる場所があったので、管理道を少し戻ってそこで昼食。
雑木が自然の屋根になり雨もかからず良い塩梅。今日はラジオを聞きながら鮭弁当である。
(いつもの助六ではありません)(^^;)

 じいっとしていると手がかじかんでくる。早々に弁当を掻き込んで食事を切り上げ、手
袋を取り出す。帰路はガイド本ではそのままNHKの管理道を東へ下っていくのだが、車
から遠くなり、しかも車道歩きも長いのでピストンにした。

 このコース、林道歩きが長いが、殆んど地道なので苦にならない。雨は左右がササの茂
みになると葉を叩く雨音が高くなり、結構降っていることに気づくが、概して大降りにも
ならず助かる。往路は結構長いなと思ったが、帰路は気が付くと何時の間にやら猪ノ子峠
を抜け、天皇陵から林道に出会う地点に戻っていた。更に舗装路を下ると何やら資材置き
場。重機が所在無げにアームを垂れている。(林道出会い地点付近に下に降りる林道が分
岐しており、これを使えば駐車地にもっと早く着いたようです。)

 左に現れたゴルフ場への進入路を過ぎると、善福寺への参道が見えて来る。おばさんが
言っていた寺とはこの寺らしい。

 右に折れて農道へ向かおうとしたら、そこは丁度、往路の来見山の入り口で、駐車地ま
では10分足らずであった。

 安徳天皇流離譚。真偽の程は定かではないが、なかなかロマン溢れる話ではないか。山
歩きしていると、こういう歴史にも触れられて面白い。車に戻ってホッと一息つく。ふと
透かしたフロントガラスの向こうには高岳が覗いていました。


【タイムチャート】
9:00自宅発
10:00〜10:05野間出野集会所駐車場(駐車地 Ca190m)
10:10〜10:20岩崎神社若宮八幡宮
10:25来見山登山口
10:28〜10:31藤原経房卿墓
10:35〜10:38安徳天皇陵墓(来見山(268m))
10:45〜10:50林道出合
10:56〜11:01猪ノ子峠
11:35関西セルラー野間通信所
11:40〜11:50高岳(411.7m 三等三角点)
11:55〜12:10高岳東稜線(昼食)
12:45〜12:48猪ノ子峠
13:14野間出野集会所駐車場(駐車地 Ca190m)


高岳(野間)のデータ
【所在地】大阪府豊能郡能勢町
【標高】411.7m(三等三角点)
【備考】 能勢町の中央にある里山です。西斜面はやや険しいですが
東側はなだらかで、ゴルフ場となっています。南麓の野間
郷一帯は悲劇の帝、安徳天皇の潜幸伝説の地で、付近には
「位の高」、「玉垣内」、「出野(しゅつの)」等の地名
が残されています。
来見山のデータ
【所在地】大阪府豊能郡能勢町
【標高】268m
【備考】 能勢町の中央部、野間にある里山です。山頂部に安徳天皇
の御陵といわれる墳墓がありますが、真偽のほどは定かで
はありません。
【参考】 2.5万図『妙見山』
慶佐次 盛一『北摂の山(上)』ナカニシヤ出版



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