芳山〜石畳と石仏の滝坂道を歩く

平成14年 7月 6日(土)
【天候】 晴れたり曇ったり
【同行】 単独
昔ながらの風情のある旧柳生街道の峠茶屋


 先日、熊野古道の一つ、小辺路を歩いたからという訳ではないが、古い由緒ある道を歩
きたくなって色々物色していたら、『滝坂の道』というのにいきあたった。旧柳生街道の
ことで、奈良市内の高畑から白毫寺、春日大社の入口を抜けて春日山の原始林を縫い、古
刹円成寺の門前を通って柳生へ通ずる古道である。沢沿いの石畳の道は、所々に点在する
石仏や今も草餅を売る古い茶店と相まってなかなかの風情だとか。これは一度訪ねてみな
ければ...。というわけで、この梅雨の合間、最寄りの三角点の山、芳山(ほやま)と組
み合わせて出かけることにした。

 道路事情が悪いのか、奈良市内は平城京付近から非常な混み具合。自宅から二時間近く
かかって、ようやく奈良市高畑町。高畑の市営駐車場が見つからず、偶々行き当たった私
営駐車場は市営より100円安かった。ラッキー!

 駐車場の小父さんに「滝坂の道」について尋ねると、前の道を真っ直ぐ東へ行けばよい
とのこと。支度をして「行ってらっしゃい」声に送られて出発。

 高畑は昔一度歩いたことがある。白毫寺、新薬師寺、志賀直哉邸なぞを巡ったっけ?流
石にここまで来ると、ガイド本やメディアによる紹介で有名になったとはいうものの、東
大寺、興福寺ほどの喧噪は無い。所々に京都の嵯峨野のような喫茶店が点在する。しかし
暑くてすぐにめげてしまいそう。それもそのはず、後で知ったのだが、台風の影響による
フェーン現象のお陰で今年一番の暑さだったとか。昼から天気が下り坂という予報に反し
て空は青い。(結局、予報は見事にはずれでした。)

 春日大社の入り口と社叢を左に見ながら、広い車道が突き当たった先は春日山原始林で、
遊歩道が延びている。滝坂道はここを折れて下の飛鳥中学校前から始まる。「みぎたきさ
か」と彫られた大きな自然石の道しるべがある。

 御嶽教大杉教会の建物を右に過ごし、民家の間を抜けると左に能登川の谷が現れ、鬱蒼
とした春日山原始林の中となる。ようやく日差しから解放され、ほっと一息つく。でも、
「出るんじゃないのぉ」と思った途端、やっぱり出ました。長い物。と言っても鉛筆位の
太さのシマヘビの幼蛇であったが。(^^;

 常夜灯の石塔がある。地形図にある妙見宮への参道が昼尚暗い樹林の中を左に登ってい
る。一寸おどろおどろしい感じがする。そうする内に枯葉に埋まった道が石畳に代わる。
江戸中期に奈良奉行が普請を行ったもの。その江戸期には柳生へ向かう武芸者、また下っ
て昭和初期まで、荷を運ぶ牛馬が往来したそうである。適当に沢へ降りて牛馬に水を飲ま
せたであろう、そんな風情を感じさせる自然石を敷き詰めた道である。が、当時は今より
余程森は深かったろうから、追い剥ぎも出てさぞや物騒だったに違いない。

石畳の続く滝坂の道(旧柳生街道)

 説明版が立っていたのでふと見ると『寝仏』とある。傍らの高さ1m位の石の裏を見る
と、かなり摩滅した仏さんの顔。智拳印を結ぶ金剛界大日如来で、もと崖にあった石が転
がり落ちて現在の様になったのだとか。説明がなければ見過ごしてしまうであろう。勿論、
デジカメに撮ってもその凹凸はあまり判然としない(写真)。だが、そこからすぐの『夕
日観音』は良い。道からかなり登った崖上にあるのだが、『三体仏』等を従えて西方浄土
を向いている。夕日が当たればさぞ荘厳なことであろう。

寝仏。上から転がり落ちたのだとか

夕日観音。実は弥勒仏

 次いで石橋を渡った先に現れる朝日観音は更にロケーションが良い。幅2m程度に狭ま
った能登川の向こう岸の岩壁に彫られているのだ。夕日観音と同一作者らしく、良く似た
顔をしている。但し夕日観音と同様に観音ではなく、56億7千万年後に出現するという
弥勒如来なのだとか。脇侍は地蔵菩薩で、文永二年(1265年)の銘から、鎌倉中期の
作とわかるそうな。
朝日観音。実はこれも弥勒仏

 大きな倒木に繁茂したツル植物の下を抜け、左に5人抱え程もある巨杉を見ると間もな
く広場に出る。東屋とトイレがあって三叉路になっている。左が正規の道、右が地獄谷。
いずれも石切峠辺りで合流するそうだが、往路は左の道を行くことにした。その前に昼食
である。数人のグループが先に昼食を始めておられたが、空きスペースにお邪魔させても
らう。
首切地蔵

 広場の角の大きな杉の下には、背丈が1.5mはありそうな『首切地蔵』が佇んでいる。
首から肩にかけて割れているのだが、剣豪荒木又右衛門が試し切りをしたとの伝説がある。
昔から往来する人々の良い目印だったのであろう。

 左に見える春日山遊歩道と別れて徐々に登っていくと、左手の崖上に『穴仏』と呼ばれ
る『春日山石窟仏』がある。保護の為の屋根がかけられ、奈良営林署の説明版がある。

穴仏ともいわれる春日山石窟仏

 1155年というから平安末期。今如房願意が作製したとあるが詳細不明だとか。南都
の修行僧だったのだろうか?

 ここから良く踏まれた山道があるが、それを行っても引き返しても、いずれもすぐに高
円山のドライブウェイに出る。そのドライブウェイを暫く歩けば分岐があって、左が峠茶
屋への道である。

 石切峠は寺院建造の為に石を切り出したことに由来するそうだが、その名の通り何とな
く切り通しという感じ。やや朽ちかけた道標が地面に置かれ、右に地獄谷石窟仏への案内
標がある。そこを抜けて左へ緩くカーブした先に、目指す峠の茶屋はある。(冒頭の写真)

 茶屋は江戸時代に建てられたといい、二階建ての旅籠風の建物で軒に大きな編み笠が懸
かり、前には床几が並ぶ。座敷の欄間には成る程、火縄銃や槍がかけられてある。何でも
飲み代のかたに置いていった物という。ここで芳山への略図が貰えると聞いていたので、
店の小父さんに問う。小父さん、早速略図のコピーをくれ、この先の神社の石段下を抜け
ろと教えてくれた。重ねて問う。
「芳山のてっぺんに三角点の石ないですか?」
「さあ?そんなもん無いでぇ」
「測量に使う、この位の四角い石ですが....」
「知らんなぁ」
そこへ向かいで休んでいた男女3人グループ。
「なんかあるの?」
「この先の山の中に石仏あるんですわ」
「ほー。わしらも行こかいなぁ」
というわけで、ひょんなことから同道することとなった3人グループの方々。松原から来
たそうで、男性は気功師、女性は保母さんと占い師とユニークな面々、日頃から歩き回っ
ているという猛者連である。

 峠茶屋前から舗装路を東に辿ると、まもなく上誓多林の集落が見えてきて、左手に赤い
鳥居。八柱神社で素戔嗚尊を祀るこぢんまりとした神社である。茶店でもらった略図から
すると取り付きはここだろう。道標はないが、目を凝らすと、神社へ登る石段横の木の枝
に『芳山』と書かれた小さなプレートがぶら下がっていた。間違いないというわけで、石
段下の良く踏まれた道を進む。竹藪を抜けると右手は茶畑。左に鹿除けネットが続く。更
に進むと門扉がある。幸い鍵はかかっていない。

 ところが道はいっこうに登りにならず水平道。少し面食らう感じ。桧林に出ると予想と
は逆にやや下り勾配になり、ますますもって面食らう。桧林はつい最近伐採されたらしく、
切り揃えられた木材と木っ端が転がっている。良い匂いだ。くだんの女性は大喜び。なん
でも木っ端を持って帰って家の中に置いておけば良い芳香剤なのだという。成る程。

 小さな鞍部の分岐に出る。足元を見ると小沢が埋設されたヒューム管に導かれており、
左への道はその上を通る。略図にある「橋」とはこれらしい。私製の木の道標には「芳山
石仏 火の用心」とある。この左の道に入るとようやく登りの山道らしくなった。

 緩い山腹を巻く様に行くと、腰丈ほどもあろうか徐々にクマザサが現れ、両側から重な
るが踏み跡はしっかりしている。やがて勾配が増してくる。暫く我慢して小さな尾根に出
ると雑木に小さな小さな道標プレート。それにはかすれ気味に左に向かえば芳山、右が石
仏とある。どちらかといえば石仏への道の方がしっかりしている。先に芳山を極めること
にして左へ向かう。

芳山の山頂に転がる子牛ほどの岩。その横に三角点

 古い赤テープが要所にある。雑木を避けてくねくねと登って頂上かと思えば、三角点も
なく小さな偽ピークであった。「松園家持山」と彫られた石標が立っている。尾根伝いに
更に南へ向かう。痩せたアカマツなどの雑木を縫って小刻みなアップダウンをこなすと、
ようやく大きな石がごろんと転がる山頂に飛び出した。

 四等三角点とプレートが一枚の狭い山頂で、展望は僅かに南西方向が開けていて郡山方
面の市街地が望めるのみである。三角点にタッチした後はすぐに分岐に戻って直進する。
するとすぐに芳山石仏の立つ台地であった。

 石仏は三面石で、南と西を向いた二面に釈迦如来らしき螺髪、肉髻のある仏が彫られて
いる。高さは1m位だろうか。製作年代は天平時代というから古い。ここまで来る者は余
程の好事家だろうが、像の前には盛塩とシキミが備えられていて、今も地元では信仰を集
めているようであった。

天平時代の作といわれる芳山石仏。南面仏(左)と西面仏(右)


 石仏の前の広場で暫く憩って引き返す。例の小橋の分岐で小休止。グループの方々から
いなりずしを頂き、茶で喉を潤す。くだんのグループの人達は木っ端を拾って帰るといわ
れるので、こちらはここでお別れすることにした。

 鹿除けの門扉近くの杉林で梢を渡るニホンリスを見かけたりした後、茶屋に戻って草餅
とコーラを注文する。因みに草餅1個130円也。しかもコーラは珍しい瓶入りであった。

 帰路は石切峠で左に折れて地獄谷石窟仏経由首切地蔵のコースを採る。コンクリート擬
木の階段部分もあるが、尾根伝いに概していい山道が続く。一旦、ゴルジュ状の谷へ降っ
た後、登り返して暫くすると地獄谷石窟仏に出会う。

 奈良時代後期の釈迦如来が彩色を残し、左に薬師如来、右に十一面観音を従えて線彫り
されている。(十一面観音は室町期に追刻)行者が彫ったとか、あるいは大仏殿建立の為
石材を採る石工が彫ったとか諸説がある。この辺りは京都の鳥辺山の如く、昔は死体を捨
てた所らしい。南都の僧の修行の場であったとも云うが、いずれにしても真偽の程は定か
でない。ここも保護の為、屋根と格子が施されていた。

まだ彩色の残る地獄谷石窟仏

 水平道は山腹を巻いて400m進めば高円山ドライブウェイ。さらに山道に入り、小さ
な沢沿い降ると地獄谷新池に出る。

 池を過ぎれば、水道施設の小屋があって、首切地蔵の辻迄はまもなくであった。やれや
れと東屋に向かうと、なんと先程の3人組パーティが小休止中。
「ありゃ、又お会いしましたねぇ」丁度、小生とは往路と復路が正反対だったようだ。再
び挨拶して先に降る。

 傾いた西日に生駒の山並みが青いシルエット。またもや、渋滞に巻き込まれつつ、古都
を後にしたのでありました。やはり梅雨の晴れ間の低山は暑い。水の消費量は2.5リッ
トル。でも暑い辛さを補って余りある石仏巡りでした。



【タイムチャート】
9:40自宅発
11:30〜11:35駐車場
11:48飛鳥中学校前
12:10寝仏
12:15〜12:20夕日観音
12:30朝日観音
12:40〜12:56首切地蔵前広場
13:05〜13:10春日山石窟仏
13:15高円山ドライブウェイ出合
13:25〜13:30峠茶屋
14:00〜14:02芳山(517.9m 四等三角点)
14:10〜14:25芳山石仏
14:33〜14:53小橋付近(小休止)
15:00八柱神社
15:03〜15:10峠茶屋
15:12石切峠(地獄谷石窟仏分岐)
15:31〜15:36地獄谷石窟仏
15:41ドライブウェイ出合
15:46地獄谷新池
15:50首切地蔵
16:20飛鳥中学校前
16:30駐車場



芳山のデータ
【所在地】奈良県奈良市
【標高】517.9m(四等三角点)
【備考】 奈良市の東方、春日奥山に含まれる一峰です。山頂近く
に天平時代の作といわれる石仏があります。
南麓付近を柳生街道が通っており、昔ながらの峠茶屋の
床几に座って草餅を頬張ると、江戸時代にタイムスリッ
プしたようで、風情があります。
【参考】2.5万図『奈良』、『柳生』



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