山頂は思わぬ雪景色〜牛松山 |
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平成13年 3月 3日(土) 天候: 曇り時々晴れ 同行: 単独 |
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保津橋付近から眺める丹波富士とも呼ばれる牛松山 |
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牛松山は亀岡盆地を流れる保津川の北に聳える山。丹波に数ある「○○富士」と呼ばれ る山の一つである。山頂には保津川下りの関係者の尊崇が篤い金刀比羅神社が鎮座し、そ の参道が登山道となっている。その牛松山に登らんと、久々に京都丹波に出かけた。 摂丹街道と呼ばれるR423。過日登った鴻応山を過ぎると、道は下り勾配。亀岡盆地 に下る葛籠折れからは、春の到来を告げる黄砂に少し霞んだ口丹波の山々。 亀岡市街を抜けて狭い保津橋を渡る。脚下にはシーズンを待つ川下りの舟が繋がれてい るのが見える。道なりに行くと府道25号。小学校を右手に暫く北上して、「北保津」の バス停そばの消防分団の建物の辻を右折する。京都特有の狭い道。畑を耕していた地元の 人に福性寺の道はこれでいいか確かめる。
左が開けて福性寺の駐車場とその奥に福性寺の甍。更に石の鳥居の前を左折した所に数台 の駐車スペースがあり、先行車が3台止まっている。 仕度を整えて鳥居へ向かう。安政4年8月の銘があって、牛松山と書かれた京都山歩会 の小さな道標が置かれている。 しばらくは竹藪の中の薄暗いジグザグの道であるが、文化6年建立の御神塔と二丁石を 見いだす頃には、アカマツが沢山生える明るい山道となる。 関電の高圧線をくぐると二の鳥居。これは明治19年建立とある。懸けられた注連縄も 新しく、未だ地元民に大切にされているのが感じられる。 小さな尾根上の道は落ち葉や松葉が分厚く積もり、程良い傾斜で登っていく。六丁石付 近では左側の枯れ松が伐採され、ようやく南西方面の眼下に亀岡盆地が現れる。保津川が 大蛇のように横たわり、半国山に深山、西方向には多紀アルプスらしき姿も望める。 十丁石で小休止。それにしても誰の仕業か、悪戯か、丁石の陰刻に銀色の塗料が塗られ ている。くだらないことをする輩もいるものだ。 十二丁石を過ぎると、左前方に牛松山本峰。谷を通して杉木立に覆われた山頂付近も眺 められる。うむ。もう少し登らねばならんなあ。が、道はしばらく平坦なプロムナード。 ふと見ると尻尾がふさふさしたニホンリスが横切って行く。急いで姿の消えた幹を探して みるが、勿論じっとそこに居るはずもない。やがて緩やかな鞍部を過ぎると、道は再び傾 斜を加えて左へと方向を変える。
ンポン山から小塩山。真正面には京都縦貫道の向こうにアンテナ施設が建つ黒柄岳。湯谷 ヶ岳から端正な鴻応山。中腹に赤白鉄塔が目立つのは歌垣山だろうか。半国山の奥に深山 も顔を出しているようだ。道端には小さな平らな石も置かれ、休憩するには良い所である。 暑くなってきたのでアノラックを脱ぎ、お茶を一口。更に牛松山の三角点をGPSのウェ イポイントにセット。 ここからは頭大のごろ石が転がる歩き難い道である。浮き石に気をつけながら、傾斜を 増した道をあえぎながら行く。 標高が600mを越えた頃だろうか。数日前の寒の戻りの名残なのか、所々に雪が消え 残るようになってきた。 ちょっとした広場に鳥居が現れて、十八丁石が置かれてある。石段を登ると神社の境内 で、小振りの本殿と絵馬堂の様な建物が建つ。本殿前の文政4年建立の常夜塔には、金刀 比羅社のシンボルマークの『金』の文字。そして絵間堂風の建物には、保津川下りの船頭 組合の奉納した川舟の模型が吊ってあった。
溶けて落ちて来るのだ。油断すると首筋に冷たい滴が落ちてくる。慌ててアノラックのフ ードを被る。 牛松山の最高点は神社の裏山だが、三角点はそこにはなく少し降った地点だそうだ。こ こはポケナビの出番。最高点の横の巻き道を辿って、西側の緩斜面に出る。と、そこは一 転、銀世界。ハイカーの踏み跡だけが黒い。気温も一気に下がったように感じる。そうい えば、社の前の手水鉢の水も凍っていたっけ。
木に囲まれて角の欠けた三角点を発見。40p位露出したその姿はやや痛々しい。結構メ ジャーな山だと思ったが、全く展望が無い為か、山名板は関西独標会のお馴染みの緑の板 以外に2,3があるのみなのは一寸意外であった。
八木の一万八千世帯に伝えているそうだ。腹具合もちょうど頃合いなので、ここでランチ タイムとした。 いつもの如くラーメンをすすり、助六を平らげた後のコーヒータイム。紙コップを持っ て付近をうろつく。西へ降る道は愛宕神社から国分に出る道であろう。ところが、中継施 設の横に小型のショベルカーが放置してあって、キャタピラの跡が道につけられており、 やや悪路の様相。折から、パナソニックのマウンテンバイクの単独兄さんがそちらから上 がってきたので確かめると、下からずーっとキャタピラの跡が付いているそうだ。雪解け と相まって歩きにくそうだし、国分から府道を歩いて戻るのも今一なので、今回はピスト ン。 帰りは、先程の展望地で立ち止まったり、時々垣間見える嵐山などを眺めながら、コガ ラのドラミングも心地よく、50分程で麓に降り立つ。 登山口の横の福性寺は臨済宗の寺。駐車場から白い砂利の小道が続き、小さな門の内側 はこじんまりとした枯山水の庭であった。 踵を返して寺の駐車場の入口を出ると、竹藪の根元に「金毘羅道、社まで十八丁」と書 かれた道標がポツンとある。内田嘉弘さんが『京都丹波の山』の牛松山の項で紹介されて いた寛政12年製の石標である。記念にデジカメ撮影して車に戻る。
る。そういえば今日は雛祭り。でも暦はもう春だというのに、山頂はまだまだ冬景色でし た。
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