恒例!貴公子超低山巡り〜昭和山、真田山

 平成13年 1月21日(日)  
 天候:晴れ
 同行:単独
千島公園入口の昭和山の石碑
 

 土曜に通過し雪を降らせた低気圧は、近畿各地を混乱させ足早に通過していったが、日
曜もまだその余波が残る。芦有道路、信貴生駒スカイラインなど山岳道路は通行止めだそ
うな。そこで今日は、道路の凍結が絶対なさそうな大阪市内で、久しぶりに超低山巡りを
してみるかという気になり、例によって昼からの出発。目的地は大正区の昭和山と天王寺
区の真田山。以下その印象記である。

@昭和山

 風は強いが結構暖かい日和である。そういえば間もなく立春だ。
 大阪ドーム横を抜けて岩崎橋から南下。環状線のガードを抜け、広い道路を暫く進むと
左側に大正区役所の建物が視界に入ってくる。その奥に木が茂る小高い丘。目指す山はこ
れかと当たりをつける。

 昭和山は昭和45年、地下鉄を掘削した時に出た土砂(ダンプ57万台分)で貯木池を
埋め立てた、面積11haの千島公園の中にある山。さしずめ天保山の昭和版といったとこ
ろである。駐車場はと探すと、区役所の駐車場が開放されている。有り難く使わせていた
だくことにする。

 取り立てて支度とてない。デジカメ片手に公園入口へ向かう。右は体育館。おりしも今
日は大正区民凧揚げ大会の当日だそうで、幾つかの凧がもう風に泳いでいる。子供達が駆
け足で会場へ向かっていった。

 入口に『昭和山』と彫られた大きな石。左に清水寺の音羽の滝風の人工滝。小石を敷き
詰めた小川の横を歩いていく。木々は意外に大きく育っている。下草にヒメザサが生えて
いて、なかなか雰囲気がよい。右と左に小山があるので、まず左の低い方を極めて?みる
と、頂上にすり鉢状の池。尤も水はない。一周して元へと返し、今度は右の石段を登る。
こちらが本命らしい。石段はやがて坂道となりすぐに頂上となった。

昭和山山頂の標識

山頂中央に『昭和山頂 標高35m』の立派な木の杭が立っている。その横が東屋で、頂
上からの眺めは東側の公団住宅以外は周囲にあまり高い建物がない為に頗る良い。大阪市
南部の立錐の余地無き甍の波の向こうに、大阪港や港大橋、遠くには天保山の観覧車。東
南に生駒から金剛にかけての山並みと和泉山脈が連なっている。それを背景に幾つかの凧
が折からの強風に勢い良く揚っている。と、向こうから凧を抱えた小父さんが上がってき
た。すぐ近所から来たというその小父さん、おもむろに抱えた凧を放りあげた。聞くと紙
は障子紙の残り、骨は竿竹から作ったという。絵も自前でなかなか達者である。器用な小
父さん得々と問わず語り。キリがないので適当に切り上げておいとますることにした。

 スロープを降っていくと紅梅の花がもうが綻びていて、水仙が満開。春が確実に近づい
ていることを伺わせる。デジカメの練習に1枚パチリ。

寒さにめげず咲いた水仙に春の香りが

 三十有余年の歳月は木々を大樹となし、葉を茂らせている。ちょっとした里山の雰囲気
も味わわせてくれる昭和山の麓をぐるりと巡って、区役所の駐車場へ戻る。

 因みに、地形図で確認すると、昭和山の標高は地盤沈下の為か33mであった。

造成後の月日で大きく成長した昭和山の樹林

A真田山

 来た道を大正橋まで北上し、木津川を渡る。上本町通りを進んで玉造筋を北上、真田山
の交差点を左折する。石畳の道が上町台地を登っていく。ずらりと路肩駐車している車列
に、こちらも仲間入りさせてもらう。(^^;

 真田山は大阪夏の陣に、真田幸村が出城を築き、徳川方をさんざん悩ませたあげく、一
時は徳川家康を危機に陥れた激戦場と聞くが、今はその面影も皆無である。一帯はスポー
ツ公園として整備され、野球場、プール、アイススケート場、児童公園等に変貌している。
期待はずれで面白くないので、隣接する宰相山を訪ねるべく、児童公園で子守をされてい
た女性に三光神社の場所を尋ねる。

 教えられた通り石畳の道を横切って暫く北へ向かうと、こんもりした林の丘が見えてく
る。登っていくと甲冑姿の銅像が現れた。采配を打ち振ったる真田幸村の等身大の像であ
る。その横に大阪城まで続いているという真田の抜け穴。覗いてみると、三方が石垣で固
められ、高さ巾とも1m足らずの穴である。元々は何だったのだろう?古墳の羨道ででも
あったのだろうか。
真田幸村像と真田の抜け穴

 真田の抜け穴の上が三光神社で、祭神は天照大神他2神。今は中風除けの神様として有
名なのだとか。昭和20年の空襲で片柱となった鳥居がある。本殿に参拝した後、野見宿
弥社等を見て裏手に廻ると、朝起き地蔵尊。そして墓地が広がり、同じ様な墓標がズラリ
と並んでいるではないか。何気なく墓碑銘を読んでみると、二等卒、軍役夫、大阪鎮台な
どの文字が。実はこの墓地、大阪鎮台、後身の陸軍第四師団の墓地だったとは知らなかっ
た。広さ5395坪、4800人の墓標が並んでいるのだ。中には西南の役に出動した巡
査隊の隊員の墓碑もある。「薩摩の兇徒云々」の文字が見える。川路利良に率いられた巡
査隊は旧会津人が多かったと云うが、この墓標の主もそうなのだろうか?思わぬ発見に驚
いた次第である。

 車に戻って西に少し歩けば、江戸時代の国学者契沖の墓や近松門左衛門、井原西鶴の墓
もある谷町にでる。辺りは歴史に彩られた街であると同時に明星高校や、高津高校など文
教施設も多い。少し奥に入るだけで車の喧騒も聞こえない。大阪の街中とは思えない静け
さの真田山町、餌差町界隈であった。

 これで天保山山岳会が制定した『なにわ7山遊歩ガイド』記載の7山の内、天保山、蘇
鉄山、鶴見新山と併せて4山制覇?。また機会があれば、未踏の聖天山、茶臼山、新夕陽
丘にも登ってみたいものである。


【タイムチャート】
13:00自宅発
13:45大正区役所駐車場
14:00〜14:15昭和山山頂(33m)
14:40大正区役所駐車場
15:00真田山公園前
15:15〜15:45宰相山公園
16:00真田山公園前


昭和山のデータ
【所在地】大阪市大正区
【標高】 33m
【備考】 昭和45年、万博を控えて、地下鉄工事で掘削されたダン
     プ57万台の土砂で貯木池を埋めたてて造成された千島
     公園にある昭和の天保山です。かつては近くにあった海
     も、度重なる埋め立てにより遠のいてしまいました。
     しかし、今も眺望は良く5万本に及ぶツツジの名所とし
     て親しまれています。JR大正駅から市バスで大正区役
     所前が最寄りです。
真田山、宰相山のデータ
【所在地】大阪市天王寺区
【標高】 15m
【備考】 大阪夏の陣で、豊臣方の名将真田幸村が気づいた真田丸
     があった所です。現在は真田山公園として変貌し、昔の
     面影は無く、寧ろ宰相山の方に風情があります。宰相山
     は近くに加賀宰相前田家の陣屋があった所からつけられ
     た名称のようです。付近は国学者契沖の墓所や井原西鶴、
     近松門左衛門の墓所など、歴史に彩られた地域です。
     地下鉄とJRの玉造駅からすぐです。



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