三峰山〜霧氷で巳年の山納め |
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平成13年12月23日(日) 天候: 晴れ 同行: 別掲 |
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新道峠から月出へ下る古道より眺める霧氷煌めく三峰山 |
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寒気団が南下して22日は神戸でも初雪が舞ったという。日曜は高見山と並んで霧氷の メッカ、三峰山へ行く予定。が、余り降りすぎても却って登りが大変だしと、霧氷初めて の我輩としてはハムレットの心境。しかし、予報では冬型は急速に緩んで日曜は絶好の好 天になるという。胸を高鳴らせて床につく。 一夜明けた23日。5時半。まだ暗いが空は満天の星。期待が膨らむ。 ザックに荷物を詰め込んで6時20分、待合い場所に行くと、水谷さんの車が既に停車 中。更にもぐもぐさん宅に寄り、近畿道から西名阪道を経てR166で一路、集合地の東 吉野村の高見小学校へ向かう。 新木津トンネルを抜けると、1台の車がハザードを点滅させている。予想通り大加茂さ んの車である。みーとさん、初対面の清水さんが同乗。挨拶を交わす。 高見小学校前へ場所を移して8時45分出発する。 道路は所々凍結。とりわけ高見トンネルを抜けた三重県側のループ橋はアイスバーン。 四駆のスタッドレスでも滑る。ノーマルだったらどうなったことか?想像するだに背筋が 寒くなる。 飯高町木梶を過ぎた所で左折し、月出川沿いに遡る。月出は誠に隠れ里の雰囲気。こん な所に集落がと思う程、山懐に抱かれた小さな平地に民家が散在する。その周囲には棚田。 更に奧に向かう道の左手に月出の里の案内所がある。案内板が立っており、コース確認 とトイレ休憩方々、小休止である。 ところで、気になっていたロマンチックな『月出』の由来。案内板の横に運良く由緒書 きを見つける。それによれば、神武天皇が三畝山を越えた時、月があまりに綺麗だったの で月出と名付けたのだという。また、峠越えが余りに急であった為、疲労で髪の毛が真っ 白になったことから、その峠を白髪峠と読んだのだという。この周辺に多い神武東征伝説 の一つのようだ。 北奧林道は舗装された立派な林道。だが、山陰の橋の上は凍結していて緊張する。対向 車が来たら困るなぁ等と口々に言い交わしている内に、車は高度を上げ、周囲は次第に白 さを増してくる。が南側を通る道だけに思ったほど危険はなかった。中央構造線の露頭の 位置を示す大きな案内標識の横に車数台のスペースがあったので、ここで大加茂さんの車 をデポ。ここで全員水谷さんの車に便乗、更に登って最高点を過ぎ、暫く下った奧福本の 登山口からスタートすことにした。
て杉の人工林の中を登り出す。すぐに右に鹿除けネットが現れる。山腹を巻く様につけら れた道はよく整備されており、周囲の植林も手入れされていて明るい。 突然、低く腹に堪える銃声が周囲にこだました。そしてまた1発。次第に近づいてくる 錯覚にとらわれる。高鉢山方面からのようだ。銃声はこの後も続き、計十数発に及んだ。 ジグザグに高度を上げるにつれ、まばらだった雪がまとまってくる。時折吹く風に、乾 いた雪がパラパラと木の枝から降ってくる。気温は徐々に下がって2℃。だが結構きつい 傾斜に額は汗ばむ。 雪の上にはフィールドサインが至る所にある。四肢の足跡が揃っているのは野ウサギ。 タヌキらしき足跡も点々とある。鹿の足跡は登山道を登って行く。この雪の中、素足じゃ 寒かろうなぁ?しもやけにならないのだろうか?(笑) 標高1000m付近に来ると、ようやく目の前がぱぁーっと開けて、白い雪のショール をまとった三峰山の山腹が広がる。一同から感嘆の歓声が上がる。
々から伊勢方面の山々迄が広がる。それらを観ながらだから足元がおぼつかない。そして まもなく。木々が途切れたと思ったら白銀のススキの広がる八丁平に飛び出した。
からは熊野灘らしき海まで認められる。南にはスメールのある森の集落、飯盛山から迷岳、 古が丸山、明神平付近の山々、遠く大台の山々も姿を見せている。 暫し展望を楽しんで、八丁平から北東方向の山頂へ向かう。霧氷のトンネル。アセビが やたらに多い。有毒植物なので鹿も敬遠するのであろう。本格的な冬はこれからだという のに、早くも来年に向けて沢山の薄紅のささやかな蕾が垂れ下がっている。落葉して枯れ 木と見まごうのはシロヤシオ。それが霧氷でまるで白い珊瑚のようである。霧氷の花の下 を腰を折り曲げ、幹に触れないようにして進む。何故なら細い雑木の幹に触れるや霧氷を ばっさりと被る羽目になるのだ。 雑木のトンネルの中、緩い傾斜を登るとポッカリとした空間が現れる。一等三角点の埋 まる円い三峰山の頂である。懸けられた色とりどりのプレートが人気の山を示す。が、誰 もいない。東に小須磨峠への踏み跡。東南に向かうテープは修験業山へ向かう縦走路だろ うか。道悪しとマジック書きがあった。
が全て見渡せる。西に住塚山、国見山、屏風岩に鎧岳と兜岳。その手前に古光山。中央に 一際目立つは倶留尊山。その頂は白い。曽爾高原は冬枯れで茶色。太郎生の高原を挟んで は大洞山に尼ヶ岳が認められる。それらの山々に雲が斑に影を落として流れていく。更に 遠くに霞んでいる上野市街。手前は神末の集落らしい。見飽きぬ眺めにしばし酔う。 少し早いがここで昼食。かじかむ指をストーブで温めながら、湯気を上げるカップラー メンをすするのは最高である。尤も、時折吹く風にバラバラと落ちてくる雪には閉口だが ...。(笑)
た雪は15p程。サラッとした雪なので難渋することはない。サクッサクッとバージンス ノーを踏みながら歩く。右手、三峰山の山頂部のなだらかな白銀の姿が素晴らしかった。
辺りは雪を被った姫笹原から、霧氷のついた雑木の白いトンネルに次第に変わる。その雑 木の間から一箇所、高見山のピラミダルな姿が垣間見られた。何はともあれ写真に収める。
である。ほとんど高低差のない広い尾根沿いに道が続く。ヒメシャラ、ブナ、ツツジ、アセ ビ等々、新緑の季節もまた良しと期待させる清々しい世界である。
る。この辺りまで来ると、昼を過ぎて暖かくなってきた影響か、霧氷も溶けだして小さく なった感じである。風もなく暖かい。一旦降って鞍部を抜けて登り返すと1102mピー ク。ここを降った所が三重県側の月出と奈良県側の神末をつなぐ古道が走る新道峠(わさ び峠)。昔は大和米を魚に換える人達や、薪炭を運ぶ牛馬で賑わったに違いない。それら 幾多の交わりをずっと眺めてきたであろう、珍しい大日如来の石仏が雪の中にポツンと鎮 座している。何を悟るか金剛界の智拳印を結んでいた。
案もあったのだが、当初の計画通り、左に折れて月出の登山口へ降ることにした。 杉林の中の葛籠おれの道は昔からの道で良く踏まれ、近畿自然歩道にも指定されている。 道の角々には自然石を積んだものが置かれてあるが、石仏の代わりなのだろうか?周りは 人工林に囲まれていてあまり面白みもないので、自然に足は速まりずんずん降る。やがて、 沢の音が響きだし、左手にわさび谷が現れる。 3m位の可愛い滝を右に見て、砂防堰堤を左にすれば石段道になり、林道が見えてきて、 月出の登山口はすぐであった。 駐車スペースとベンチがある。ここで大加茂さんの車待ちの水谷さんと別れ、小生達は 更に下の駐車地へ向かう。 自然に還りかけている遊歩道を10分ほど直降すると大加茂さんの車を置いた地点。も ぐさん、清水さんと小生は、中央構造帯の露頭を見ようと、更に降ることにした。 急傾斜の林道を行くこと約10分。わさび谷の斜面に崖があり、南北で色が異なる岩盤 が目の前に現れた。中央構造線は東西千qにも及ぶ大断層。ここがその月出の露頭だとい う。北側が白いマイロナイト、南側が黒色片岩と明確に色分けされており、学術的にも貴 重なのだそうだ。 さて、やや戻って、整備中の枝林道を降って行くと間もなく北奥林道に合流する。右に 月出不動尊のこじんまりとした建物を過ぎる。やがて竹藪が現れ、月出の最奥の民家(廃 屋)を過ぎればのどかな月出の里に戻る。左に緩やかに折れていかば月出の里の案内所は 直ぐ先であった。 今日一日の余韻に浸りながら、のんびり雑談モード。話は尽きないけれど再会を約して ここでお開き。そのあと小生ら3人は、西日を受ける高見山をデジカメに収めるべく旧道 の木津峠に寄って帰途につく。
にはからんや意外な少なさ。交通の便が悪いこともあって、霧氷バスの出る1月以降とは 雲泥の差だ。しかも三重県側は道もいいにも関わらずマイナーである。却ってこれが狙い 目なのですが...。静かな山歩きなら今の内に三重県側からです。(笑) 今年は丹波の蛇山干支オフでの大雪に始まり、それが為に中国道で足止めを喰ったりと 波乱を予感させる幕開けであったが、その同じ雪が今日は三峰山にまたとない素晴らしい 霧氷という置き土産をもたらしてくれた。終わり良ければ全て善。又来年を期待させる締 めの山、三峰山でした。同行の皆さん、有り難うございました。特に便乗させて頂いた水 谷さん、有り難うございました。 【参加者】 大加茂さん、清水さん、水谷さん、みーとさん、もぐもぐさん[五十音順]
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