立春は播磨で石仏探訪オフ〜鎌倉山 |
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平成13年2月4日(日) 天候:曇り 同行:別掲 |
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ここのところの寒さもあって、山歩きを控えていたのだが、そこへ稜線を辿って石仏巡 りが出来る山があるから歩かないかとのお誘いがあって、立春の日曜日、久しぶりに遠出 することにした。ターゲットは兵庫県加西市の点名『比延田』なる三等三角点ピーク。地 元では鎌倉山と呼ばれているが、地形図や道路地図には記載がない山である。 一路、第一集合場所の加西ICへ車を走らせる。気遣われた天気も高曇りで時折薄日が 射す状態。これなら蛇山の二の舞は無さそうと安堵。 加西ICを出ると、見慣れた島田さんの青いCR−Vがファミリーマートの駐車場に駐 まっているのが見えた。1ヶ月ぶりの挨拶を交わし、雑談混じりにこれから登る鎌倉山を 教えていただく。北方を眺めると、たおやかな双耳峰が横たわっている。麓に普光寺とい う古刹があって、それを馬蹄形に取り囲む峰々を結ぶ行者道があるのだという。そんな話 を伺っている内に、かいさんの車が滑り込んできた。 揃ったところで第二集合地点の普光寺へ向かう。河内の集落の奥に、目指す天台宗の蓬 莱山普光寺はある。思ったより大きな境内のお寺だ。仁王像の立つ山門横に駐車場があっ て、タヌキさん夫妻と石田さんが待っておられた。
ある。参道から折れて山沿いの農道を進む。民家を掠めて山懐に入っていくと『是より鎌 倉山』の石柱が我々をいざなう。すぐ側に早くも不動明王と役行者(又は法道仙人)が並 んだ石仏が立つ。明治39年建立とあるから比較的新しいものだ。 右手に養鶏場。鶏糞があちこちに地雷の様に転がっている。恐怖の鶏糞攻撃とはこれだ なと用心しながら暫く進むと分岐があるが、ここは右の植林の中の道を採る。 桧林の下をジグザグに高度を稼いで行く。山腹を捲く所に八角柱の石柱。摩滅して判然 としないが、人為的な物であるのは間違いない。 やがてお堂が見えてきた。今までの道は、このお堂の参道であったようだ。島田さんに よれば、ここは鎌倉寺の址とのことだ。文政7年製の御神塔。施主は鎮岩村の小谷某とあ る。この近くの集落であろうか。向かって左の石段上には山の神である大山津見(大山祇 神社)の祠が鎮座していた。(普光寺の奥の院ともいわれています。) ここからは雑木林に代わり、道もやや狭くなる。井戸跡などを経て、落ち葉を踏みしめ てすぐに「西の覗」。河内の集落から眺められた岩である。先端近くまで行って下を覗い たが、矢っ張り足がすくむ。晴れていれば海が望めるそうだが、ガスで遠目は効かない。 残念。 そこからしばらくの急登、ぽっかりという感じで頂上到着。広さは十畳程だろうか、伐 採され見晴らしが良い中に、綺麗な三等三角点と法起菩薩の石仏がある。法起菩薩は西国 三十三カ所を開いた徳道上人が化身したと云われる仏で、上人は地獄で一度閻魔大王に追 い返されたという伝説がある。法道仙人と同一人物とも云われており、種々の奇跡を起こ したといわれるところをみると、いずれ渡来人だったのだろう。
持ちよい雑木の稜線沿いをすぐ。ここには孔雀明王の石仏。石仏巡りの本に記載された写 真にそっくりである。 この辺りから赤いプラ杭が目に付くようなる。八千代町との境界になっているようだ。 そして東方向へ一気の下り。木立にすがって滑らないように用心する。 傾斜が緩んでくると、暫く植林帯を進む。木立の間から見た鎌倉山が優美。加西富士と 呼んでも過言ではない。まもなく現れた関電の鉄塔bP31。雪を薄く纏った笠形山が霞 んでいる。
島田さんから「あの山から右の尾根を降る」と聞かされ、「えっ?随分と遠いやんかぁ」 が偽らざる心境。でも、鷹の巣山から見た高御位山もこれ位の距離はあったよなと思い直 す。 更に下るとすぐに八千代町と普光寺を結ぶ踏み跡が交差する峠。ここで向かいから別の パーティが上がってきた。小生らが普光寺に着く直前に登られた方々だとか。今日出会っ た唯一のパーティ、挨拶を交わし分かれる。 登り返して、島田さんが指摘しなければ見逃したであろう行者道下の岩に安置された行 者像や東の覗きを過ぎる。雑木の中の小さなアップダウンの道でとなって、所々にまだら 雪がアクセントのプロムナード。それにゴミ一つないのがいい。 459mピークに行き着く。ここには大日如来。智拳印を結ぶところを見ると、智を象 徴する金剛界の大日如来らしい。三市町界を成す普光寺山と呼ばれるCa450mピークは 眺望も聞かないとのことなのでパス。山腹を捲いた後、小さな鞍部を過ぎて再び登り返し た所は『大天井』と呼ばれるCa450mの山。頂が壇状になっているところから砦があっ たのではないかと云われているが、これは定かではない。アセビなど雑木が茂って眺望は 芳しくないが、『大天井』と彫られた折れた石標が立つ気持ちの良い山頂である。 丁度、時間も頃合、皆さん思い思いに場を占めて昼食の用意。小生は石標の横を占拠す る。ここでタヌキさんから、今日は純米地酒『鳳鳴』をいただく。これはいいアペチット になった。 さて、降りは南方向の明快な道。随分ミツバツツジが多いので春歩くのも良さそうだ。 すぐに石に囲まれた行者像が現れた。 途中、植林の中でやや分かり難い所もあるが、関電の鉄塔bP35直下に出ると、西に 今まで辿ってきた山々が見渡せる。 一旦登り返した389mピークには釈迦如来像が鎮座する。この釈迦如来、螺髪部分が 異常に大きく、まるで団栗の殻を被っていると言ったら不謹慎の誹りを受けそうだが..。 しかし、それがまた庶民信仰らしく素朴で良いのだ。 ここで行者道は関電の巡視道と分かれ、西に進路を変えて下っていくのだが、島田さん がビックリした声を上げた。以前は相当なヤブだったのが、整備されて随分と歩き易くな っているのだそうだ。そういえば、切り口の真新しい木の枝や刈られたシダの葉がうち捨 てられている。「日役」で地元の人達が刈ったのではと、タヌキさん。お陰で随分と歩き 易いが、右手にマツタケ山を示すPPテープが出現したのは無粋。尤も、松の幹を見れば テッポウ虫の仕業か、直径1p程の穴があちこちにある立ち枯れの赤茶けた松が多くて、 とても収穫は望めまい。 弥勒菩薩や昼寝するに手頃な岩の向かいにひっそりと立つ、地衣類が着生した不動明王 を観賞しながら、南に長く伸びる尾根を降る。開けた所に出ると、本物の錫杖を持った役 行者2体。向かって右の仏の白毫は緑色の石が填め込まれてある。シキミが供えられてい るところを見るとお参りする人があるらしい。横には文政13年、庄屋鈴木源太夫の銘のあ る棟札が置かれた愛宕社もあった。
の後が生々しい大日如来と思しき石仏が見つかった。これは島田さんも初見参だったらし いが、真新しいシキミが供えられてあった。 護摩堂の下には天理教会。その横の路地を下ってきた辻には地蔵堂があって、側に『是 より行者道』と書かれた石標が立っている。本来はここが出発点。我々は所謂「逆峯」を 採って行者道を完踏したことになる。 あとは四方山話に盛り上がりながら河内の集落内をのんびりそぞろ歩きである。豪壮な 農家の間の路地。半鐘を吊した火の見櫓。前方には縦走してきた山々。畦を見ればオオイ ヌノフグリやタンポポが花を付けている。そういえば、今日は立春。麗らかな春も近い。 戻ってきた駐車場では、今日もタヌキさん夫妻恒例の黒豆パンと珈琲で、心地良い疲れ と充実感を味わう。そして反省会?と雑談。無線の話に、もぐもぐさんが前日六甲で会わ れたという自殺体の話やら法道仙人の話。話題は尽きないが、ほど良いところで再会を約 し、ミニオフは散会となった。心配された雨、風共に無く、静かで穏やかな立春の播磨の 山路でした。 【付記】いつもいつも楽しい山行を企画して下さるしまださん、タヌキさん夫妻に感謝で す。そしてご同行下さり、親父ギャグに付き合って下さった石田さん、かいさん 有り難うございました。 ■同行:石田さん、かいさん、島田さん、タヌキさんご夫妻[五十音順]■画像で鎌倉山行者道を巡る事が出来ます。ココをクリックして下さい。
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